3年

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3年

乳幼児はかわいい。
万国共通に、かわいいものだ。
広告作りも、ネタがなくなると、モチーフは動物か、アカチャンになるのが常套手段だとか。
いちばん、手っ取り早く、万人にアピールできる。
万人を、にっこりさせることができる。
アカチャンは、かわいいのだが、
アカチャン側としては、ほぼ動物のようなもので、こちらの存在があまりわかっていない。
一生懸命遊んであげても、お世話しても、見返りを求めてはいけない。
ボランティア精神あるのみ。
あんなに頑張ってお世話してあげたのに、遊んであげたのに、・・・と力んでも、本人は、1%たりとも覚えていない。
なので、期待してはいけない。
ただただ、自分がアカチャン&子供好きで、
遊んであげているのではなく、遊んでもらっているという感覚でなければ、後に疲れる。
アカチャンに愛を与えるのではなく、愛、生命力をもらう。
ある程度、大きくなると、うっすら記憶のようなもの、脳に残像が残るかも知れないが、
1歳やそこらのアカチャンは、たぶん、サルか猫か犬ぐらい。
が、発育過程、内容、段階、速度などを観察するのは、非常に興味深いものがある。
危険な目に遭わせないように気をつける、
退屈がらないように遊んであげる、
退屈になったら、遊んであげる、
お腹が空いたら食べさせ、眠くなったら眠らせる。
余裕があれば、絵本を読んだり、音楽や運動、知育玩具などで刺激を与える。
なんだか当たり前の、児童学科で学ぶ、発達心理学みたいで、
そんな学問は、あってもなくてもどっちでもいいんじゃない?
と感じるぐらい、ノーマルな人間らしいメニューだ。
(ちなみに、わたしは、児童学科ではありません)
自分のやっていることは、乳幼児にとっては記憶には残らないけれど、
自分がいかに、乳幼児との短い期間を充実して過ごすか、ということだ。
どの乳幼児も、とても濃厚な時間である。
なぜなら、3年ぐらいは、あっという間に経ってしまい、乳幼児の期間は過ぎてしまうから。
一生でいちばん、かわいい。
そして、いちばん、手がかかる。
三つ子の魂、百までも。
その逆もある。
人生の最期の3年ぐらいがいちばん、手がかかるとする。
いちばんかわいい・・・ということはない。いちばん、・・・?? 人によるだろうけれど、
いちばん辛い? 苦しい? しんどい? 情けない? 
認知症の場合は、神様が苦悩から開放してくれるプレゼントをもらったようなものだが、
その分、家族やまわりは、たいへん。
最期の3年で、その人の人生の〆られ、終結する。
これまた、濃厚な3年であるが、いつからの3年、というのが期間がわかりにくい。
(末期癌の告知でも受けない限り)
最期の3年の記憶は、亡くなる人にとっては、あとあとまで続くかというと、3年後、死を迎えると、そこで終わり。
一生懸命取り組んで介護しても、当人は他界してしまうので生存中には記憶の先は3年しかなく、
介護する側のこころにどう残るかItalian landscapes
アカチャンと同じで、相手のこころへの影響度に、期待はできない。
楽しい、かわいい、将来への夢がたっぷりの、うれしいボランティアと、
その逆の、終わりに向けてのボランティア。
どちらもボランティア精神がないと、見返りや打算ではできないhome improvement
しかし、余裕があればボランティア精神もありだが、心身も時間も余裕がない場合、自身を削って、
そんな悠長な優雅なキレイごとを言ってられない。
あんなに可愛い赤ちゃんを育てる、同じキラキラ光る素晴らしいことでも、
一人で抱えると育児ノイローゼにもなりかねない。
介護も、キラキラはしていないにしても、最後のゆっくりした時間、厳かな時間であってほしいFuneral flowers
厳かになるまでが、本人も回りも大変で、
闘いの時間でもあるかも知れないが、多くの人の手が必要だ。
 
ゆとりがあると、愛が生まれる。
ゆとりがないと、愛が削られる。
協力が大事。
でも、みんな、理想どうりには行かないから、世の中には様々な現象が起きている。
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